2009年10月16日(金)

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:24

 

主は、パンの奇跡をされた。それを見た群衆は、主を王にかつぎ上げようとした。しかし、主は、大勢の群衆が信じると言い、後を追いかけ回しているのは、主ご自身を求めてではないと言われた。

しるしを見て、そこに霊的な恵みを見て、この方こそ主キリストと信じついて来たのでなく、求めていたのはパンであり、更なるパンで満たされたい。自分の願いが満たされたいがゆえに、つき従っていると。満腹とは、自分の欲望が満たされる事であり、自己満足、自己実現だ。それが満腹であり、肉の喜び、肉の満足だけで、そこに主や永遠の恵みを見る事はない。

主は祈りに答えて下さる。求めよと言われる。そして必要を満たして下さる。
しかし、気をつけていないと、私たちの祈りは、ひたすら自分の欲望満足だけに向かってしまう。欲望充足の手段となってしまう。そして、欲望が叶えられず、思い通りにならなければ、主のもとを去る。利用価値が無いからだ。

主は、そんな私たちをあわれみ、正しく導くために、時に、思い通りでない答えを与え、よく考えさせ、動機を探らせ、省みさせて下さる。
「ノー」の答えがあり、すぐに叶えられない祈りがある。その中で心を探り、取り扱い、御心に適った者へと成長させて下さる。思い通りにならない状況は大きな恵みだ。その中で様々な気づきが与えられる。
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あれも欲しい、これも欲しいと素直に祈るが、主がくださるものを喜ぶのが私達だ。
ノーの答えの中で、自分の立場でしか愛せない者である事を知り、思い通りにならない所を主と歩む恵みを知って行ける。