2009年12月16日(水)

「これに反して、パリサイ人、律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒みました」ルカ7:30


天国から最も遠いと言われていた、罪深い取税人たちが、ヨハネのバプテスマを受けて、神を認めた。最も信仰深いと言われていたパリサイ人、律法学者たちはヨハネのメッセージを受け入れず、神を認めず、バプテスマを受けなかった。

直に主イエスの御言葉を聞き、奇跡を見ても、尚且つ主を拒んだ。どこに問題があったのか。それは彼らの心であった。心が頑なであった。

自分のメガネでしか物を見ない。人は誰しも、自分の都合の良いように、物事を見るし、聞く。独断と偏見があるが、それが強く、自分のメガにかなわないものは、決して信じない。受け入れない。固い土地は御言葉をはじき返してしまう。

自分のメガネを正しいとする時、御言葉の入る余地はない。自分はどうだろう。偏見で物を見ていないか。又、パリサイ人たちは、外側は戒めを守っているように見えたが、そこに愛とあわれみは無く、本質的には何も行なってはいなかった。

戒めを行なえない、自分の本当の姿を見て、悔い改めることが、大きな恵みのただ中であり、そこに神の力が働く。御言葉の下に自分を置き、へりくだって主に頼る時、心は大海のような平安で満ちる。

恵みの世界は、何とパリサイ人の世界と異なることだろう。喜びと安堵でいっぱいの、別次元だ。
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自分は正しいに立つ時、大切な主さえ見えない外側だけ律法学者になって行く。近いようで最も遠い者にならないよう、多くの罪を赦されている事を今朝も覚え、主の下にへりくだり歩もう。