2010年02月13日(土) 「その人は・・ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもののつがいがはずれた」創世記32:25
「その人は・・ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもののつがいがはずれた」創世記32:25
ヤコブは、押しのける者との意であり、自我が強く、自分の思いを押し通す者で あった。父と兄を騙し、祝福を横取りして、逃亡。叔父宅に身を寄せる。 更にしたたかな叔父ラバンに、結婚の事で騙され、姉を妹と騙された。かつて弟 を兄と騙した事が思われたろう。蒔いたものは必ず刈り取る。ラバンの下で辛い 苦しい訓練を受ける。 しかし尚も巧みに家畜を増し、財産を増やす。段々叔父の態度も変化し、おりず らくなった頃、神から故郷へ帰るようにとの示しを受ける。20年の歳月が流れ ていた。帰郷となると、兄に会わねばならない。 兄の怒りが恐い。殺されるので逃亡したわけで恐怖だ。何と四百人を引き連れて、 こちらに向かっていると言う。皆殺しにされる、最悪のシナリオが頭を巡る。極 度の不安と恐怖が、もうどうにもならない。 その時に、ヤボクの渡しで、ある人が夜明けまで彼と格闘した。ヤコブはもがき にもがいた。どうにもならないので、その人はヤコブのもものつがいを打った。 人を押しのけ生きて来た、エゴのかたまりであるヤコブ、そのヤコブの自我が砕 かれた瞬間だった。 ヤコブは、神の前にくずおれ、自力で歩めなくなり、びっこになった。杖が無し で歩けない。何でも出来て、策略と狡猾な知恵で生きて来たヤコブが、神に拠り すがらなければ、一歩も歩めないヤコブになった。 その時、恐れから解放された。先頭に立ってエサウに会いに行った。エサウはす でにヤコブを赦していたのだ。逆説的だが、神に全く捕らえられる時に自由にな る。喜びと平安に包まれ、不安と恐れから解かれる。 ・・・・・・・・・・・・・・ 神が砕いて下さらない限り、自分で自分を砕く事はできない。一つ一つの目の前 の状況や出来事は、自分の一番の頑なな急所を砕くためだ。そこを見ない限り、 痛いだけだ。同じ事の繰り返しだ。自由にして下さる御手を見よう。