2010年05月16日(日)

「あなたはどうして礼服を着ないで、ここに入ってきたのですか」マタイ22:12

王が、王子の結婚の披露宴を設けた。招待した客は、皆、断って来た。神の事、
永遠の事より、今の地上の事柄が心を占め、目の前の事に心を奪われてしまう。

王や祝宴などどうでもよい。大切なものが、畑であり、商売であり、この世の事
だ。そこで、王は、大通りで出会った者を誰でも、招くよう命令した。片っぱし
から呼んで来たので、宴会場はいっぱいになった。

ところが、そこに婚礼の礼服を着ていない客が一人いた。王は怒って、外に放り
出した。通りで、突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持っていない。しかし、こ
の礼服は、すべて主催者側で用意されていた。

だから、放り出された人は、王の礼服を、故意に意識して不要と拒否したことに
なる。自分の服の方が上等だと思ったのかも知れない。彼は、町で招かれ、招き
は拒まず、やって来たのだが、王の前に出る「礼服」は拒んだ。

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」この客のようだろうか。自分の
服で、自分を着飾る。自分の功績、自分の力を捨てない。捨てたくない。自分の
良い行ないで、義と認められようとする事だ。

神の考えより、自分の考えを正しいとするなら、神を拒否する事であり、礼服を
拒む事だ。王の礼服を頂いて、義の衣、主キリストを着て、主と一つとなり従っ
て行こう。そして、披露宴の大きな喜びと楽しみにあずかろう。

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自分の欲、又、この世に気を取られ、喜びの宴会の招待を断っていないだろうか。
宴会には行くが、自分のやり方、自分の思い、判断を通し、礼服を拒む。溢れる
楽しみの宴会に招かれている。感謝して受け取るなら、主と共に喜びに満ちる。