2010年06月15日(火)

「彼は告白して否まず、『私はキリストではありません』と言明した」ヨハネ1:20



「バプテスマのヨハネがキリストか?」と思った人々がいた。しかし、ヨハネは、自分はキリストではないと言明した。彼は人々が主を信じるための、道備えをし、主を紹介するという、自分の使命、役割を心得ていた。それを果たす事により神の栄光を現した。

人は、自分に賞賛が向く時、どうしても自分に栄光を帰してしまう。人からの賞賛は大きな誘惑であり、肉はその誘惑に勝てない。しかし、ヨハネはへりくだっていた。人々の関心を自分にではなく、主に向けていた。弟子たちが、妬み心を抱いた時、人は天から与えられるのでなければ、何も受ける事はできない。主は盛んになられ、自分は衰えなければならないと答えた。

周囲の人が、自分より用いられていたら、妬みの誘惑が来る。しかし、ヨハネは自分の役割を受け止め、自分が衰えることを受け入れていた。主の御心を見つめ、御心を行なうこと、自分に与えられた役割を成し遂げること、そこに喜びを見い出していた。

なぜなら、ヨハネは主から愛され、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」とすでに主から認められていた。認められようと頑張る必要がない。私たちもすでに主から愛され、認められている。
それゆえ、自分に与えられた場で役割を果たして行くこと、そこから喜びが来る。
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人からの賞賛は誘惑だ。自分を見失い常に人の関心と賞賛を求めて行く。自分は何者なのか、神様との関係を今一度しっかりと確信しよう。私は神様が御子を十字架につけてまで愛し憐れんで下さっている者ですと今朝、謙遜に感謝を献げたい。