2010年07月16日(金)

「主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった」 出エジプト15:25

モーセと民は出エジプトを果たし、シュルの荒野を三日も歩いたが、炎天下で一滴の水も無かった。民はのどが渇いて死にそうだった。人々の心は、嘆き、挫折、絶望にあった。そんな時、マラで水を見つけて、大喜びしたが、その水は苦くて飲めなかった。それでそこを"マラ""苦いもの"と言った。

人々は失望し、不満で一杯になり、モーセに怒りをぶつけた。あの3日前の、紅海の奇跡を見た、主への感謝は見事に吹っ飛んでしまっていた。モーセが神に叫ぶと、一本の木を示され、それを投げ入れるや、苦い水が甘くなった。

私たちも日常生活で、何か事が起こると、不満や、失望、恐れや思い煩いに襲われる。それが苦い水となって、心の中に渦巻き、溜まる。主が一本の木を備えられたように、私たちにも主イエスの十字架を備えて下さった。

苦い水は、人がどうやっても、甘くする事はできない。十字架が、その苦い水を甘い水に変えてくれる。人への腹立ち、憎しみ、赦せない思い、そんな苦みが、十字架の愛、赦しのもとで、甘みへと変えられる。

今、状況が思うようでなく、落胆し、不平不満だらけのマラの地にあるだろうか。主の十字架のご愛に立ち返るようにと、あなたに御声をかけておられる。状況を嘆いてつぶやいても、何も変わらない。主を呼び求めよう。そうするなら、その苦みを甘みに変えて下さる。心を変えて下さる。
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悩みにある時は、モーセのように、ありのままの今の思いを主に訴えよう。状況しか見られず狭量になっている所から主が連れ出し、まず心を守ってくださる。主は私達の悩みを必ずかえりみて下さる。