2010年12月16日(木)

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」ローマ7:24


ある女性が結婚後、嫁姑問題にぶち当たった。夫との関係も、思っていた以上に考え方、価値観や嗜好、習慣の違い、ありとあらゆるものが違っていて、悶々状態となって行った。夫の仕事が多忙で、語り合う時間もなく、イライラが募るばかりで、不平不満で一杯になり、相手を裁き、責める。

自分の非を決して認めたくない強い自我に苦しむ日々、そんな自分に自己嫌悪にも陥る。主の御前に赦しを求めるが、そのしりから相手を責め立てる思いが湧き上がる。苦しみの数年を経て、疲れ果ててしまい、もう限界で、これ以上やって行けない状態になった。

姑との確執、夫と喧嘩ばかりの日々、もう結婚生活を続ける事ができないところまで、追い込まれた。「主よ、助けて下さい。この結婚を明け渡します。自分自身を、もうどうにもできません」とギブアップした。その時初めて、今までも理解していると思っていた主の十字架が、真に自分の事として迫った。

罪しか犯す事ができない自分だからこそ、十字架がある事がわかり、心底からの悔い改めが与えられ、今まで味わった事のない平安と喜びに満たされた。祈りながらも、ずっと自分で何とかしようとして、もがいていた事に気づかされた。どん底こそが、実は、真に主に出会う最大の恵みの場所だった。
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自分でどうにかしようともがいているうちに、自分がどうしようもない者だと気づく。罪しか犯せない者だと認められたぶんだけ十字架の救いの感謝は深くなる。罪示され、赦され十字架を知っていこう。