2011年04月15日(金)

「私の赦したことは、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Uコリント2:10 


誰かを赦せない思いがあるだろうか。その思いをずうっと抱いたまま、心が暗く重く、苦しいだろうか。ある人は、瀬戸際の時に、助けの手を延べてくれなかった親族に不満を抱き、裁く思い、憎しみに囚われ、交流も絶っていた。その事を思う度に、赦せない気持ちが強くなり、怒りが湧いた。更に憎しみが増幅して行った。これは、否定的な思いを抱き続けると、それは更に強くなって行き、どんどん大きくなる。自分で要塞を作り上げてしまう。

小さなちょっとした不満だったのが、憎しみに憎しみを上塗りして行き、モンスターにして行ってしまう。その人の何もかもが嫌になる。しかし、これは自分でそうしている。自分で些細なものを巨大なものにし、自分で自分をがんじがらめにし、自分で自分を苦しめて行く。あなたにも経験あるだろうか。

サタンがそこに足場を得るので、自在に働いて来る。サタンに付け入る隙を与えてしまい、やがて頭は憎しみと否定的妄想で一杯になる。自分でサタンを招き入れている。いつも言われるように、赦しは自分のためだ。赦さないなら、ずっと牢獄の中だ。相手を赦す時、自分は牢獄から出る。自由にされ、解放され、喜びと平安に満たされる。相手のためでなく自分のためだ。そして、サタンの足場を粉砕するためだ。
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赦せない思いはサタンに用いられ、サタンと会話しながら、更に怒りはあおられて行く。すぐに赦せるように祈り、背後にいるサタンを退けよう。怒りの闇から主が解放して下さり、光の中へ出て行ける。