2011年06月15日(水)

「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10


信仰生活で、様々な事態を経験する。対人関係のトラブル、経済的危機、健康の問題、別離、仕事の悩み・・色々な悩み、困難が目の前に起きる。しかし、どんな問題であれ、御父の許しなしに、起こる事は一つもない。それが自分の罪のゆえであっても、サタンのしわざであっても、御父の許しの中だ。

私たちには、誰一人例外なく、主からの試練が臨む。試練とはテストだ。神は私たちをテストされる。「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主」とあるように、主は私たちを試される。それは、訓練し鍛え忍耐を与えるためだ。
順境の時にはわからないが、試練の時にその人の本性が表れ出る。苦しみに会った時に、本当の姿がわかる。

もし、自分の都合優先の信仰なら、そこで従う事を止める。しんどい目をしてまで、従って行くメリットは無い。ご利益が無いなら意味が無い。又、自分の思いが強ければ、思い通りでない事態に、反抗的になり、不平不満で一杯になる。本音が出て来る。自分が第一だ。普段、何も無い時には、自分の内側にあるものに気づいていない。

試練はそんな内側を明らかにし、本当の姿を見せてくれる。それは、私たちの成長のため、祝福のためだ。本当の姿を見ない限り、前進も成長も無い。自分の真の姿を認め、悔い改めて行く時、きよめられ成長して行く。
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起こる出来事を通して自分のわからなかった内面が表に出てくる。本当の姿は醜くて、自己中心であきれるばかりだ。それを主に告げ、どうか変えられますようにと祈ろう。その繰り返しを神様は祝して下さる。