2011年07月16日(土)

「彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み・・私の愛への報いとして私をなじ ります。私は祈るばかりです」詩篇109:3 

       

ダビデは、辛く苦しい所を通った。それは、愛する者に、なじられ、攻撃され、
真実を向けた相手に、憎まれ、敵対されるという苦しい現実であった。サウル王
やアブシャロムによる迫害ではないかと言われている。いかばかりの苦悩であっ
たろう。

誠意を尽くし、真心持って接するなら、必ず通じると思いたいが、そうでない場
合がある。そんな時はどうすれば良いかを、ダビデを通して学ぶ事ができる。誠
意を尽くし、愛情を注いだ人々が、歯向かい、攻撃して来る。

邪悪な口と、欺きの口と、偽りの舌をもって、憎しみの言葉で取り囲み、罵り、
なじって来る。何とも苦しい状況だ。まさに、人間の、神に対する態度そのもの
だ。しかし、神は、神を捨て、神に敵対する者を更に追いかけ、御子まで殺して
下さった。その御子を私達はどう扱ったか。神の愛すら通じないのであれば、罪
人である人間同士の愛が通じなくとも不思議はない。

主は十字架上で、人々の罵りに対してどうされたか。人々の赦しを御父に祈られ
た。ダビデも同じだ。「私は祈るばかりです」。相手を攻撃し、復讐するのでな
く、主に心の内を打ち明け、叫び、主に知って頂くことができる。

主に心のすべてを叫び祈ったダビデは、この後、賛美と感謝へと変えられて行く。
今、苦しみの中にいるなら、答えは「私は祈るばかりです」。神に心の内をこと
ごとく告げよう。

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時に、辛い、苦しい状況に直面する。又、対人関係においても、どうしても気持
が通じない時があるかも知れない。ますますこじれたりする。そんな場合の答え
は「祈りばかりです」。主に気持を告げ、委ねよう。そこに主が働いて下さり、
御心を成し遂げて下さる。