2011年08月16日(火)

「ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で、私に奇しい恵みを施されまし た」詩篇31:21

私たちは信仰生活の中で、時に瀬戸際、絶体絶命、非常なる困難に出会す。なす
すべなく、どうして良いかわからない。前にも後ろにも、右にも左にも進めない。
お手上げ状態だ。しかし、その時こそが、行き詰まりこそが、神のチャンスだ。

何の手立ても無い中で、生きて働いておられる神に出会う。絶体絶命の「包囲さ
れた町の中で」神の奇しい恵みを受け取る。ある女性は、女手一つで子供達を育
てていた。経済的困窮にあり、そんな中、車が故障した。生活上どうしても不可
欠であり、数十万の見積もりだった。手元にお金は無く、なすすべなく泣いてい
た。祈っていると、丁度そんな時、その車種の欠陥が発覚。すべて無料で修理が
なされた。

ある婦人は、離婚を通り、気が狂いそうなほどの、苦しみと辛さであり、涙が止
まらなかった。何をどうして良いのかもわからなかった。ただ主に拠りすがるば
かりであった。しかし、主は「包囲された町の中で」奇跡をされ、御翼の陰にか
くまって下さった。

そこは全き平安の場所だった。外側、荒れ狂う暴雨風であったが、主の隠れ場は、
恐れも不安も何もなく、平安に満ち満ちていた。世のものではない、「主の平
安」を下さった。主は御心なら状況を変えて答えて下さる。又、そうでないなら、
心を変えて、同じ状況の中で、全き平安を与えて下さる。

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絶体絶命の時には、そこに奇しい恵みが備えられている。状況でなく、その恵み
の視点に立って見ていよう。これまでも奇しい恵みを体験して来た。これから先
も、同じように導いて下さる。今、包囲された町の中なら、奇しい恵みを施して
下さる。そこを見つめていよう。