2011年09月15日(木)

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです」マルコ8:35

こんな民話がある。広大な土地があり、日の出から日没までに、自分の足で歩いた所が、全部自分の土地になるというのだ。しかし条件が日沈までに出発点に戻るというもの。貧しい農夫は狂気し、日の出と共に喜び勇んで歩き出した。嬉しくて〃あの土地も、この土地もと欲が出る。もっと〃と懸命に歩き続けた。太陽が西に傾く事に気づき、これはいけないと出発地点に戻り始めた。

急がねば、何もかもが水の泡だ。どんどん太陽は西に。農夫は死に物狂いで走り、走り、走り続けた。心臓がつぶれそうなほど走った。そして、息絶え絶えに戻った農夫はその場で力尽き、倒れ、死んでしまった。これは実は悪魔の誘惑であったという話だ。自分の欲望に駆られ、ひた走る生き方はついに身を滅ぼしてしまう。

「命を救おうとする」=自分の利益を得たい、金持ちになりたいとは、単に富ではない。有名になり、人の上に立ちたい、人からの賞賛が欲しい、地位と名誉を持ち、人を支配したいという欲望だ。肉の欲望を遂げようとする時、自分自身を失ってしまう。

人も神さえも、自分の利得のために利用して行き、それが自分にとってどう利益があるのか、でしか見えなくなってしまう。そんな自分に気づき、献げて行く時、自分の利得でなく、神の御心、神の栄光を優先する者に変えられて行く。そして、実際、神の栄光が現される。
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こんなことして何になろう、これは時間の無駄ではないのか。そう先を見越して物事をより分けてしまっている。自分の利益優先だ。自分を全く脇におき、神様から発した思いで目の前の事に対処して行きたい。