2011年10月16日(日)

「そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見える ようになった」マルコ8:25 

 

人々が盲人を連れて来て、主に癒して下さるよう頼んだ。主は盲人の目につばを
つけ、両手を彼に当てられた。最初、彼は、人が見える、木のように見えると言
った。鮮明には見えず、人が木のように、ぼんやりとしか見えなかった。

そこで、主がもう一度、両手を目に当てられた。彼が見つめていると、すっかり
直り、すべてのものが見えるようになった。主に直接触れていただいた時に、は
っきりと見えるようになった。

ある人が自分だけ不幸、自分にだけ次から次へと苦しみがと、殻にこもり自己憐
憫に陥っていた。そんな時は、自分の事しか見ていない。自分を中心にしか物事
が見えない。神に視点が向かないので、自分と状況だけを見て、心を屈折させる。
主の恵みになど全く気づかない。しかし、喜びも平安もなく、このままでは余り
に苦しいので、主に助けを求めた。

目を、自分自身と状況から離して、主を見上げた時に、はっきりと主が見え、状
況が見えた。周囲から多くの励ましや慰めを受けていた事、主がその人々を通し
て、愛を現して下さっていた事、主がずっと一緒にいて支えて下さっていた慈し
みが見えた。心が変えられ、感謝が湧き上がった。

主は決して変わる事なく愛し、慈しみ、支え続けて下さっている。主に焦点が合
っていないと、その現実が見えない。状況や自分から目を離して、主を見つめよ
う。はっきりと見えるようにして下さる。

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ぼんやりと見えていたのが、見つめていると、はっきり見えるようになった。主
を求めて、見つめて行く時に、主が働かれ、はっきり見えるように、恵みが見え
るようにして下さる。霊の目が開かれて、見えて行くのは奇跡であり、主のみわ
ざだ。