2011年12月14日(水) 「イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36
「イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36
ヤイロが、最愛の娘が死にかけであり、必死な思いで、主のもとへ来てひれ伏した。どうか家に来て、娘の上に手を置いて癒して頂きたいと願った。主は、一緒に出かけて下さった。ヤイロは、一刻も早く、主をお連れしたい。娘は今にも死んでしまう。気が気でない。しかし、一刻の猶予もない、そんな時に長血の女性が現れて、主は対応され、手間取ってしまった。 何でこんな時に、心は焦り、早く、早く、早くお連れしなければ、その時間がどんなに長く感じられただろう・・。その時に、家から使いの者が来て、娘は亡くなったと告げた。もう先生を煩わすことはないと。もう手遅れだと。ヤイロはどうだったろう。茫然自失。心が停止してしまったのではないか。何がどうなったのか、混乱し、考える事もできなかったのでは。その瞬間、主がヤイロに御言葉を与えられた。「恐れないで、ただ信じていなさい」。 別訳では、「イエスは、その話している言葉を聞き流して」とある。主は、使いの者の言葉を聞き流された。私たちも、何もかも心に入れてはならない。対人関係、仕事、経済問題に関して「もうだめだ」「手遅れだ」「不可能だ」、ネガティブな言葉、不信仰な言葉は聞き流し、無視しなければならない。主の言葉「恐れないで、ただ信じていなさい」、状況でなく、人の言葉でなく、主の言葉をしっかり受け入れ、握り、信じて行く時、御言葉の通りに成し遂げられる。 ---------------- もう駄目、不可能だ、と思う場面で「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われる主の言葉を真っ先に受け取れますように。恐れから情緒は不安定になり、嫌な言葉ばかりが騒がしく耳に入るけれど、それを自分のものとしてはいけない。