2012年01月16日(月)

「全地はあなたの前にあるではないか。・・もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9


アブラハムは、飢饉に会い、肉の知恵、手段によりエジプトに下った。そこで妻を妹と偽り、危険な目に会った。アブラハムは失敗から学んだ事だろう。再びベテルに来て、祭壇を築き主の御名によって祈った。ロトとは、互いの所有物が増え過ぎて同行困難となり別れる時が来た。

アブラハムハは全所有権を手放して、ロトの前に置き、まずロトに好きな所を選ばせた。ロトは、これだけの繁栄に浴した叔父への恩、目上の者への敬意、そういったものもなく、どこが自分に得で、より有利かで頭が一杯だった。見た目で欲で判断し、肥沃な潤っている地を選んだ。祈る事も、神の御心を求める事もなく、自分で選んだ地は、結果的に破滅の地であった。ロトはすべてを失った。

しかし、その地を選び取ったのは、ロト自身であった。自らの選択であった。全所有権を神に明け渡したアブラハムは、結局、全地を所有することになった。私たちの選択はどうだろう。選択のその時に、神を見上げ、神の御心を求める事を、普段から培っておく必要がある。ロトの目の前には、世の麗しい繁栄が広がっていた。アブラハムの目の前には、神と神の約束が広がっていた。私たちの目の前には何が広がっていて、何を見ているだろうか。
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目には素晴らしく見えても、そこが御心の中心でなければ何の値打もない。頭ではよくわかっていても、物質的な利があれば、その選択は揺らいでしまう。それは自分自身の選択か、御心をあおいでのことか、よく祈り吟味して進もう。