2012年07月16日(月)

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」マタイ19:26

主に在る信仰者は、皆、主に忠実に歩みたい、御言葉を行ってゆきたいと願っているのではないだろうか。しかし、すぐに、何もかもできるわけではない事も経験する。頭では行なおうと思うが、なかなか思うように行かない。でも、そんな中から、一つづつでも、祈って行ったらどうだろう。

ある人が、メッセージを聞き、御言葉を読み、教えられる事が沢山あるが、御言葉を実行となると、つまづいてしまう。どうしても出来ない。そんな経過の中で、御言葉を聞くが、自分には実行は無理と、はなから諦めてしまっている自分に気づかされた。自分のそんな肉の思いの方が強くて、祈る事すらしていなかった。
その事実に気づかされた時に、このままでは何も変わらないし、これから先も変わらない。それからは、とにかく、まず祈ることを始めた。

出来ないからこそ、祈りがある。即、できるわけではないが、まず地道に祈り続けて行く中で、時間をかけながら、主の方法や力を見せられた。1ヶ月2ヶ月と忍耐持って祈り続ける中で、内側の思いが変えられる経験や、どうしても出来なかった事が、気がつくと出来ていたり、祈りの力と共に、御霊の力を知った。

あなたも、はなから無理との発想が無いか。それをまず祈りに持って行こう。忍耐持って祈る時、主は祈りに答え、必ず一つ二つと行わせて行って下さる。
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自力ではとうてい出来ないけれど、御言葉は人事ではなく、自分の事として聞き、従って行きたいと祈ろう。それは必ず必要な行程であり、主ご自身をさらに新しく知れる。無理だと避けず、御言葉に向き合いたい。