2012年09月13日(木)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6


信仰生活の中で、様々な試練に会う。そんな時、不平不満でいっぱいになるだろうか。「何で、こんな事になるのか」「神が愛なら、どうしてこんな状況を許されるのか」「何で、何で」・・。試練は主から来るが、試練の時は、同時にサタンも強く働く。主から離そうとし、不信仰に陥らせようとする、その事を覚えていよう。

「神が愛ならこんな事にならない、愛されてなどいないんだよ」とささやいてくるサタンに耳を貸してはならない。「行く所どこにおいても」どんな状況であろうと、「主を認めよ」。主を認めて行く時に、サタンの足場を崩してしまう。ヨセフは、激しいアップダウンの人生であった。隊商に売られ異国の地に、しかしそこで一転、主人から信任受け、全財産を任されるほどに。しかし、又もや順境から一転、無実の罪で、奴隷以下の囚人に。しかし、又又一転総理大臣に。


ヨセフは父親から引き離され、頼るものが何もない中で、主だけが頼りで、主に拠り頼み、信仰が培われて行ったのではないか。波瀾万丈の人生の中で、アップの時もダウンの時も、良い時も悪い時も、苦しみの時、困難の時も、そこに「主を認めて」行った。砕きの御手も認め、だからこそ、ヨセフは祝福され、豊かな実を結んで行った。「どこにおいても、主を認めよ」そうすれば、道をまっすぐにして導いて下さる。今、目の前の出来事に、主を認める必要があるだろうか。
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いつでも、どこにおいても自分の限界を認めよう。主のご支配の中でゆだねて行く時に、アップダウンの道に主が臨在される確信を与えられる。知恵のない者、力のない者で本当に感謝だ。