2012年12月16日(日)

「わたしのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の 家を建てた賢い人に比べることができます」マタイ7:24



賢い人も愚かな人も、どちらも御言葉を聞いている。賢い人は「こ
とばを聞いて、それを行なう」。愚かな人は「ことばを聞いて、そ
れを行わない」。愚かな人は御言葉を聞かないのではなく、聞いて
いる。

礼拝で御言葉を喜んで聞き、聖書を学ぶクリスチャンだ。御言葉
を拒否し反抗しているなら、自分でも自覚できるが、喜んで聞いて
いるので、自分で気がつかない。御言葉を聞いて、それで満足して
しまう。聞いて、理解した気になってしまい、そこで終わる。

「さあ、どんなことばが主から出るか聞きに行こう・・彼らはあなた
の言葉を聞く。しかし実行しようとはしない。口では恋をする者で
あるが、彼らの心は利得を追っている」

聞くだけで行なわないなら、自分の生まれつきの顔を鏡で見るよう
だと。自分をながめて立ち去ると、すぐに忘れてしまう。御言葉を
聞いて忘れてしまい、実になることがない。真理の言葉は行なう時
に初めて、実を結んで行く。

有難い御言葉を聞いて、良かった〃で、終わりだろうか。すぐに忘
れてしまうと。順境時は良いが、試練が来た時に立ち行けず、倒れ
てしまう。実行して行く時に、御言葉が血となり肉となり、どんな
嵐が来ても倒れない。聞いた言葉を一心に見つめて離れないなら、
事を実行して行けると。行なえるよう、助けを求めて祈ろう。

・・・・・・・・・
真理の解き明かしを聞いて「恵まれた」で、満足して終わっていな
いだろうか。語られた御言葉を実行しようとする時、御霊の助けが
臨む。しかし、「したくない」「できない」なら、まず正直に主に
言い表そう。不思議に心が変えられる。