2013年03月16日(土)

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなた方を赦して くださいます」マタイ6:14 

         

誰しも経験するが、赦しということが重要であり、大切だとわかる
が、赦すことは非常に難しい。なかなか出来ない。ある人が「相手
を赦さないなら、その相手から何かを求め続けているのであり、そ
の人に永久に縛られてしまう」と言ったが、赦さないという事は、
相手に求め続けることになってしまう。

生涯、その相手に自分の人生のコントロールを許す事になる。相手
を憎むなら、憎しみでがんじがらめとなり、自分でどうにもできな
い憎しみの奴隷となり、結局、相手に拘束され続けることになる。
苦しむのは相手ではなく、どこまでも自分自身だ。

どんなに辛く苦しい事だろう。いつも心が縛られ、苦しく、暗闇の
中だ。「赦しなさい」は相手のためでなく、自分のためだ。自分を
縛りから解くことになり、自分を解放する事になる。赦さない心は、
自分をがんじがらめにする。

ある人が、他人にコントロールされる一生は嫌で、自由になりたい
と思った。御前に祈り、赦しを意志で選択する事を決心した。今、
赦せない人、傷つけられた人・・具体的に一人一人「赦します」と祈
った。その時「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」を身
をもって体験した。

人を赦した時、自分自身が、神から赦されていること、受け入れら
れていること、深く慈しまれ、愛されていることが身をもってわか
った。人を赦さないなら、自分が赦されていることが、どうしてわ
かるだろう。

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人を赦そうとする時、必ずできない自分を見い出す。どうしても出
来ない。だから主がおられる。「赦したくありません。助けて下さ
い」と主のもとに行こう。主が赦せるようにして下さる。