2013年09月14日(土)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました」詩篇119:71 


信仰人生で、神に一番近かったのはいつだったろう。厳しい試練の
時ではなかったか。全身で主をあがき求めたのではないか。問題の
ない安穏な環境では、人は神を求めない。自分の好きな事に心が奪
われ、熱中してしまう。神ご自身に慰めや喜びを感じるのは、困難
のさ中で、自分ではどうにも出来ない時だ。

それは真に神を体験できる時だ。神の癒しを知るのは病気の時、、
経済的満たしを受けるのは、困窮の時だ。神の慰めが身にしみるの
は、深い悲しみに沈む時だ。苦しみの時、心は張り裂けるばかりだ
が、しかしその時にこそ神の言葉が何かを知る。

御言葉を信じるしか道の無い瀬戸際で、御言葉によって生きる事を
経験する。苦しみの中で、神の臨在に触れ、頭の理解でなく、真に
神を知る。神ご自身の深い喜びを与えるために、神は私たちに様々
な悲しみ、苦しみを通される。

ある婦人は子供を事故で亡くし、悲しみのどん底で「御翼の陰」を
初めて経験した。主の臨在におおわれ、主ご自身から慰められて、
心は平安に満たされた。補償金が入り、祈りの中で、子供の死は一
粒の麦と示され、近隣の子供達に福音を伝えたいと願った。そのお
金で子供のための集会所を作った。
牧師と教会スタッフに来てもらい、そこで沢山の子供達が救われ、
大人も救われて行った。大きな慰めを受けた。主ご自身の慰めを受
けて、満たされているので、今は「本当に心の底から感謝しかな
い」と。

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様々な悩みや問題に会うが、後に、「苦しみに会ったことは、しあ
わせでした」と言えるとは、なんと大きな希望があることだろう。
今の、目の前の問題も必ずそうされる。主ご自身を知って行ける。
主を信じて歩もう。