2013年10月15日(火)

「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」箴言16:9



人は誰しも「自分の道を思い巡らす」。全く見えない先の事だが、予測をし計画を立て、段取りをする。信仰によってというなら別だが、そうでなく無計画で、行き当たりばったりの人生は、ほめられた話ではない。だが一応の予測はするが、その通りにならないのが人生だ。明日、何が起こるかわからず、思い通りには決してならない。

ある人の家族が人生途上で事故に会い、障がいを負ってしまった。驚き戸惑い、パニックだった。全く予想もしていない、思いを越えた事であった。「しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主」との通り、祈り込む中で、心が整えられ、その現実を受け止め、受け入れる事ができた。

主を見上げ、主を信じて歩み出した時に、素晴らしく益とされ、家族の絆が強められ、信頼し合え、その信頼は更に深められた。愛し合うことを学ばせられた。くびきをしっかり負ったので、沢山の事を学べて、主の愛や真実を日々に体験し、平安に導かれた。「幸せです」と言うことができた。

主は何が起きようと、「ご自分では、しようとしていることを知っておられる」。主に、行き当たりばったりは無い。その事にご計画があり、意図があり目的がある。突然の事態に出くわした時、「その人の歩みを確かなものにするのは主」であり「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる」通り、主の目の前での事であり、心を配っていて下さる。
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心配が来ると、まず先のことを思いめぐらし、まだ見ない明日のために最悪の結果を想定、そして心の準備をして行く。このいつもの不信仰のパターンが来たら、すぐに主を呼ぼう。主がこの事態を導いておられる事に目を転じ、信じていこう。