2014年01月16日(木)

「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」エステル4:16 

                       
エステルは両親と死別し、養父モルデカイに育てられた。そのエステルが、ワシュテイの代わりに選ばれ王妃とされた。そんな時にハマンの悪巧みにより、ユダヤ民族絶滅計画が企てられた。モルデカイは、ユダヤ人の非常事態に、エステルに王にあわれみを求めるようにと告げた。エステルは、召されずに王のもとに行く者は死刑であり、そして自分は王のもとには召されていないと答えた。

しかし、「この王国に来たのは、もしかすると、この時のため」とのモルデカイの言葉により、「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と、命がけで、王にユダヤ民族の救いを求めた。それは王に聞き届けられ、ユダヤ民族は救われた。エステルを見る時に、神の摂理を見る。捕囚の民として異国で生まれ、この時期に王妃になったのも、この危機のためでは。これは王妃であるエステルにしか出来ない事であり、エステルだからこそ出来た事だった。その地位と立場も、神の配剤だ。神がそこにエステルを置かれた。

私達も皆、成育歴が異なる。しかし、どのようであれ、今に至るまでの過程は、神の摂理でありご計画だ。今、自分の思い通りでない、困難な現実であっても、今の場所であなたへの神の御心があり、ご計画がある。あなたの使命がある。エステルは自分自身を神に明け渡した。危急の事態で、私たちは解決策を探し回る。しかし、方法でなく、神は全く明け渡した「人」を通して、ご自身のみわざをされる。
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人知を越えた神の摂理の中での今だと信じて生きるなら、どこにあっても注がれている恵みと支えが見えて来るのではないか。直面する問題に惑わされず、今日置かれたポジションで神のみわざを見ていこう。