2014年03月15日(土)

「・・わたしがあなたに話したことばは、霊であり、またいのちで す」ヨハネ6:63 



ある人が、非常に厳しい辛い状況にあった。余りの苦しさに、聖書
を開く事も、祈る事も出来なかった。神がいる事はわかるのだが、
自分は祝福されていないと思っていた。他の人々が羨ましくて仕方
が無かった。心が沈み、落ち込んだ。

しかし、そんな中で、信仰にある人々が、メールや手紙や電話で、
励ましてくれた。後で振り返ると、苦しい中も、周囲が与えてくれ
た御言葉によって生かされていた。不思議な事に、複数の人々から、
全く同じ御言葉が贈られ、その御言葉に、主の御心を受け取れた。
力づけられ、新たにされた。

弱り果てて、自分では聖書を開く事も出来なかったが、主は御言葉
を与えて下さった。ある人も、非常に厳しい試練の中で、心身消耗
しきっていた。気力が失せ、考える事もできず、祈る事もできなか
った。気力も失せ、何もどうにもならなかった。心は沈む一方で、
御言葉を見ていた。

読むというより、ただ、見ていたという状態だった。しかし、驚く
べき事に、その見ていた御言葉が、心に語りかけて来て、心にピッ
タリと来て、自分の心の内を何もかもをご存じのように、解き明か
されて行った。今の状況が、腑に落ちたのだった。

その時、苦しい状況は変わらないが、心が変えられていた。心に光
が来て、今の状況の中で、自分に出来ることをして行こうと、もう
一度立ち上がることができた。主から来る言葉には、霊と力がある。

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自分が弱り果てる時、周囲の執り成しにどれだけ助けられた事だろ
う。執り成しの祈りに答えて、主はいのちの言葉を送って下さった。
その言葉によって、光が来て、力が臨み、再び立ち上がることがで
きた。御言葉にはいのちがある。