2014年04月15日(火)

「・・そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」マタイ6:33 



私たちはしょっ中、思い煩い、心配する。「心配」について教えられている。主は、明日の心配はするな、と言われた。明日の備えをするなと言われたのでなく、「心配するな」と言われた。主を第一にして行くなら、すべての必要が与えられるから、心配するなと。

明日の事は、人間には一切わからない、見えない。そのために思い煩う。まだ起きていない事に関して、何か悪い事が起きるのではと不安になる。自分の支えを無くしてしまうのではと。心配は私たちを疲れさせ、消耗させる。その結果、今日生き生きと生きるための、気力が失せてしまう。思い煩っている時というのは、神の言葉を全く信じずに、自分しか信じていない。

しかし、主は、明日の事は、明日が心配するから、今日心配するなと。明日、何が起こるかは全くわからない。自分の限度を超えていることだ。明日を思い煩うことで、今の貴重な時間をつぶしてしまう。それが問題だ。今日の御心が行なえない。生き生きと、主を喜び、感謝し、主を証しするための今日の日を、暗い、沈んだ、平安と喜びのない一日にしてしまう。

今日なすべき御心があり、労苦がある。「今日」の分は負うことができる。「今日」を精一杯生きるようにと。そのために、大切な事は、思い煩っている事柄を主に委ねることだ。自分の手から放して、主に渡すことだ。主を「信じ」、主に「委ねる」ことが、思い煩いの解決だ。
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与えられた新しい今日を、完全に知り得ない明日のために、どれだけ無駄にしただろう。意志をもって思い煩いをやめよう。今日も明日も主の御手の中だ。