2014年08月15日(金) 「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟 としてです・・あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主に あっても、そうではありませんか」ピレモン16
「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟 としてです・・あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主に あっても、そうではありませんか」ピレモン16
神の深い摂理、神の見方を知ることができる。オネシモは主人の物 を盗み、逃亡した。悪事を働いて逃げた奴隷であり、できるだけ遠 くへと、ローマへ逃げた。そしてどういう経緯でかはわからないが、 獄中のパウロと出会うことになる。 「獄中で生んだわが子オネシモ」とあり、オネシモは新生し、「前 には役に立たない者だったが、今は、役に立つ者」となっていた。 オネシモはパウロに仕えていて、彼の悔い改めが本物であったよう だ。パウロは、そのオネシモを彼の主人であるピレモンのもとに帰 そうとした。しかし、主人の物を盗んで逃亡した奴隷は殺されたよ うだ。 そのため、パウロはピレモンに、オネシモを奴隷としてではなく、 主にある兄弟として赦し、受け入れてくれるように頼んだ。オネシ モの損害は自分が代わりに支払うからと。オネシモは罪を犯して、 自分の罪ゆえ逃亡したのであるが、摂理から見ると、別な見方にな る。オネシモが、一時ピレモンのもとを離れたのは、ピレモンがオ ネシモを主に在る兄弟として、永久に取り戻すためだと。 実際にはオネシモの罪がそうさせたのだが、このような災いな事を も、神が働き、益とされて、ご自身の栄光へと変えられる。 私たちにとっても同様だ。罪を悔い改める時、赦して、更に益と導 いて下さる。又、辛い事、苦しい事、試練があるが、神の許しの中 であり、主権のもとであることを認める時に、物事の見方、人生の 見方が全く変えられてしまう。 ・・・・・・・・・・・・・ オネシモは、主人の物を盗み、その上、主人のもとから逃げた逃亡 奴隷で、大きな罪だ。しかし悔い改めた。これを摂理から見ると、 「彼がしばらくの間、主人から離されたのは、主人が彼を永久に取 り戻すため」という事になる。何という驚くべき恵みだろう。