2014年11月15日(土)

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの 知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミ ヤ33:3

  

ある人の証しだ。職場で、上司がミスをした。しかし、皆には一番
若くて経験も浅い自分のミスと、当然のように思われた。「また、
やったね」と仕方無いなあとの調子で皆の面前で言われた。しかし、
自分ではない。上司の失敗だった。証拠もある。しかし、上司は、
何も言ってくれない。自分も何も言えず、悶々状態で帰宅した。

帰宅後、時間を取り、主に向かった。心の内の思いのたけを祈った。
納得行かないこと、理不尽であること、怒り、主にことごとく打ち
明け、苦しい気持ちの中、主に向かったハンナのように、主の御前
でああでもない、こうでもないと思いもぶつけて、祈った。

そして、御言葉に向かっていた時に、神であるのに、神のあり方を
捨てられ、ご自分を無にして、卑しくし、死にまで従い、十字架の
死にまで従われた主が思われた。罪の無い方が、十字架にかかられ、
こんな理不尽は無い。ののしられてもののしり返さず、苦しめられ
てもおどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せてになった主。

その主が迫り、怒りも悶々の思いも消えて、恵みの涙が溢れて止ま
らなかった。主に触れて、心が満ちた。そして、このようなところ
も通されて、主を切に求めるようにされ、主と交わり、新たに主を
知れたことに感謝があふれた。目の前の問題、悩みをまず主にこと
ごとく打ち明け、聞いていただこう。

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どんなに最悪の状況でも、「わたしを呼べ」と言われる主を呼ぼう。
自分の失敗でも、自業自得のような状況でも、もうだめだと諦めそ
うな時こそ「わたしを呼べ」との御声に従おう。「わたしは、あな
たに答え」、主が答えて下さる。