2015年08月16日(日)

「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くす る者は高くされるからです」ルカ14:11


主は、結婚披露宴に招かれた時に、上座に座ってはいけないと言わ
れた。もっと身分の高い人が来るやも知れず、その時、招待主が来
て、その人に席を譲るように言ったなら、末席に着かなければなら
なくなる。恥をかくことになると。肝心な事は、席を決めるのは、
自分ではなく、招待主だと。

最初から末席に着く時、招待主にもっと上席へと言われたなら、皆
の前で面目を施すことになる。自分を高くする者は低くされ、自分
を低くする者は高くされると。水は低い方へしか流れないように、
恵みは低い方へ流れる。自分を低くしたいと思う。しかし末席に着
いたとしても、自分を低くしたと心の中で誇るなら、自分を高くし
ている事になる。

又、末席にいるが、上席に着く人々を内心裁いていたらどうだろう。
又、人の手前、腰を低くするなら、更に高慢になって行く。強固
な自我にぶち当たり、自分で自分を低くできない事に、自分ではど
うにも出来ない事に気づいて行く。そして真に末席に着くために、
主が砕いて下さる事を知る。主の砕きがなければ、どうにもならな
い事がわかって行く。砕きは非常に痛いが感謝できるようにされる。

自分の思い通りにならない事態が起きる。プライドが傷つき、惨め
な思いになり、挫折する。しかし砕かれ低くされた所へ、恵みは流
れ込む。主が末席へと連れて行かれるが、そこは平安と恵みに満ち
た場だ。

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人を意識すると、自分を高く見せたい、見られたいと思う。関心は
ただ人の目にどう移るかだけで、主がまるで飛んでしまっている。
十字架の死にまでへりくだられた主、こんな自分のために命を捨て
て愛して下さったお方を覚えたい。