2015年09月15日(火)

「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10



信仰人生送る中で、なかなか自分が変わらない、変えられて行かな
いと感じる。そこには、強い自我があり、自我が砕かれていない事
が原因だと言われる。生まれつきの強情な性質があり、自我は自分
の思いを通したい。肉は神に反抗する。神に服従できない。

「肉にある者は神を喜ばせることができません」。神はこの自我を
砕きたいがために、様々な状況に私たちを置かれる。対人関係しか
りだ。あえて、自分に批判的な人を目の前に置かれる。どうしても、
うまく行かない人を置かれる。学校で、職場で、近隣で、経験する
だろうか。

嫌な同僚や上司がいて、職場を変わるが、次の職場でも同じだ。嫌
な相手はどこにでもいる。又、目の前に、どうにも出来ない状況が
起きて来る。これらの時に、状況が悪い、相手が悪い、あれが悪い、
これが悪いと、人を責め、環境のせいにし、言い訳に終始するが、
苦しい、辛い状況は何も変わらない。

更に、状況を変えよう、相手を変えようと悪戦苦闘するが、状況は
変わらず、相手も代わらず、そして、自分自身も全く何も変わらな
い。むしろ、状況はもっと悪くなって行く。その時に、これは状況
や相手の問題でなく、もしかして「自分の問題?」と気づいて行く。
そこに気づくや、道が開かれて行き、解決へと導かれて行く。「私
を変えて下さい」の祈りは答えられる。
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思い通りにならない事態であぶりだされる自我は、主の前に差し出
せば必ず主が関与してくださる。くり返し来る嫌な問題は「私を変
えて下さい」の祈りの課題ではないか。