2015年11月15日(日)

「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手 にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その 行ないによって祝福されます」ヤコブ1:25


聞いた御言葉を実行する時に、初めて実を結ぶ。聞くだけで、実行
しないなら、自分を欺いていると言っている。まず御言葉の聞き方
はどうだろう。自分の事として聞かず、他人事、傍観者として聞い
てしまう。あの人に、この人にぴったりだった・・。種蒔きのたとえ
の、道ばたに落ちた種だ。

自分に語られた言葉として受け取らないなら、心に入ることがない。
又、この御言葉はもう知っている、との態度で聞く時にも、頭で聞
いているので、心に入らず、とどまることがない。サタンが種を奪
って行ってしまう。種が根付かない限り、実を結ぶ事は決して無い。

私たちの聞き方はどうだろう。他の事を考えながら、御言葉を聞い
ていると、右から左へと何も残らず流れてしまう。サタンの妨害だ。
サタンが次から次へと思いを吹きつけ、御言葉を入れさせない。よ
く祈って御言葉を自分の事として受け取る時に、御霊の助けのもと、
心に入って来る。

その聞いた御言葉を聞くだけで実行しないなら、「生まれつきの顔
を鏡で見る人のよう」だと。鏡で自分の顔を見て立ち去ると、すぐ
に忘れてしまう。御言葉は鏡であり、自分の本当の姿を映し出す。
罪を示し、見えない心の動機を映し出す。

しかし、そこで悔い改めたり、矯正されるが、示しに従わずに立ち
去ってしまうと、必ず忘れてしまう。そこで悔い改めることが、御
言葉を実行することであり、その時に、確実に成長して行く。その
行ないによって祝福される。

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御言葉が幾ら豊かにあっても、自分の心に根ざして行かないなら、
無いのと同じになってしまう。そして「種」が心に入ると、実行し
て行く力となる。自分に必要なのはまず聞く事だろうか。聞いた御
言葉を見つめて実行する事だろうか。