2016年01月16日(土)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、 互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、 あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13 



人を赦すことは難しい。ある人が、良かれと思い、犠牲を払ってし
た事を、別の人から批判された。それも、よく話す人であり、面と
向かっている時には、普通に話すのに、陰でこそこそ悪口を言われ
た事に、ひどく腹が立った。もう腹が立って、仕方が無かった。

殴りかかりたいほどだった。正直、ぼこぼこにしたかった。しかし、
その相手は、丁度、部署替えになり、顔を合わすことは無くなった。
だが、それから、祈りの時に、平安もって祈れなくなってしまった。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちの負いめの
ある人たちを赦しました」との御言葉を前に、先に進めなかった。

相手を憎み、赦せない強い思いがある事を示され、胸が苦しくなっ
た。しかし赦せない。だが、それなら、自分の負いめも赦されない
ことになってしまう。悶々状態となり、しかし、怒りと赦せない思
いが、どうにもならない。胸が苦しく、辛くてたまらない中、主に、
あるがままの心を打ち明けた、怒り、憎しみ、赦せない思い、何も
かもを吐き出した。

「赦せません。出来ません。でも助けて下さい」、御前に祈り続け
ていた。その時、目の前に主の十字架が迫り来た。じっと十字架を
見続けていた時に、不思議だが「赦そう」との思いが来た。不思議
だった。意志を向けて、「赦します」と祈った時に、心のつかえが
取て、平安になった。自分の力では、人を赦すことはできない。不
可能だ。しかし、助けを求めるなら、御霊の力によって、赦すこと
ができるようにされる。神の奇跡だ。

・・・・・・・・・・・
出来ない事を、したくない事を、あるがまま祈り続けていると、時
も導かれ、御霊の思いや、御言葉により、不思議に導かれる。心が
溶かされ、変えられて行く。みわざだ。神の力を経験する。まず祈
りに持って行こう。