2016年02月14日(日) 「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進も うではありませんか」ガラテヤ5:25
「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進も うではありませんか」ガラテヤ5:25
新生した私たちには、御霊の内住を受け、新しい性質が生まれた。 それは神を喜び、罪を悲しみ、神に従おうとする性質だ。同時に、 古い性質もそのまま存在する。これはエデンの園でアダムが、神の ようになりたいと、罪を選んだ結果、自分を神とし、自分の力で自 分の思い通りに歩もうとする性質だ。 この二つの性質がクリスチャンの内にあり、御霊は新しい性質を、 サタンは古い性質を引っ張る。私たちは常にどちらかを選択してい る。それは自分の選択だ。古い性質の、妬み、悪意、敵対心、憎し みを選ぶ時、その肉の実を結ぶ。反対に御霊に従い、自分を明け渡 して行く時、御霊の支配を受ける。その結ぶ実は愛、喜び、平安だ。 主に在る者の交わりにおいて、御霊に導かれ、双方の新しい性質で 交わる時、喜びがあり、双方で主を崇め、建て上げられ、心満たさ れる。一人が新しい性質で、もう一人が肉の性質で交わる時、前者 が、後者を励まし、引き上げる事ができる。信仰的な方向に導く事 ができる。 肉と肉の交わりは、愚痴、批判、不満の交わりとなり、双方で足を 引っ張り合う事になる。自らが御霊に導かれるなら、周囲の人を励 まし、徳を建て上げて行く。内なる御霊がそうされるからだ。 自らの状態は自分だけでおさまらず、周囲にも影響を与えて行く。 新しい性質がすでに与えられている。御霊は内住されている。御霊 に従って行こう。それは喜びの歩みだ。 ・・・・・・・・・・・ 肉は根深くあり、サタンは、常に肉に誘惑して来る。日々、主との 交わりにより、肉の性質に気づかせられる。御霊の気づきが与えら れる。そして御霊に従う時に、自分にも喜びがあり、周囲に温もり と潤いを放って行く。今日も祈り心で歩もう。