2016年03月16日(水) 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミヤ33:3
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミヤ33:3
神は私たちに「求めよ」「願え」と言われ、求めを喜んで下さる。 何でも自由に求めることができる。どんなに小さな祈りも聞いてい て下さるが、しかし、すべての祈りが自分の思い通りに叶うのでは ない。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその 願いを聞いてくださる」、御心にかなう願いが叶えられる。 しかし、祈りは学校と言われるが、祈りとは学んで行くものだ。祈 るからこそ、祈りの中でそんな事も理解して行ける。パウロは、痛 みを伴うとげを、取って欲しいと心からの願いを祈った。しかし、 主の答えは、取り去る事ではなく、とげはそのままで、そこに神の 力を現わすことであった。だが、祈ったからこそ、この更に深い神 のお心を知れた。 私たちはしばしば問題が解消する事が、祈りの答えだと思ってしま う。しかし、もし問題がそのままであっても、心に感謝と平安を満 たして下さるなら、問題が問題で無くなってしまう。ある人が病気 になり、いやしを祈りに祈っていた。なかなかいやされない。尚も 祈り続けたが、幾ら祈っても何の変化も無かった。それで祈りを変 えた。 「主よ。もし、この病がある事で、あなたの栄光が現れるなら、そ れでいいです。OKです。自分自身を明け渡します」。その時、少 しづつ癒されて行った。明け渡すことを求めておられた事がわかっ た。祈りの中で御心を学んで行く。祈りを軌道修正しつつ導いて下 さる。 ------------ 小さな喜びも御父からの慰めだとわかり、心は温かくなる。祈りの 答えは大小様々に豊に注がれている。それを知れることが嬉しい。 祈りによって遠い先も今日の一歩も確かに平安に導かれていく。