2016年04月15日(金) 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました」Tヨハネ4:10
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました」Tヨハネ4:10
「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とあるように、私たち は皆、人の愛を求めている。人から愛されたい。しかし人の愛には 限界があり、人は見返りを求めてしまう。善い事をすれば感謝が欲 しい。感謝が無いのに善行を続ける事は難しい。私たちは報いを求 める。報いが無いなら疲れてしまい、ほとんど続ける事ができない。 しかし神の愛は無条件だ。与える愛であり、犠牲愛だ。神を基盤に して、その神を間に置いて、人に対応して行くことが秘訣だ。まず 「初めに神」で、神との交わりにより、自分自身が喜びと平安に満 たされて、人に関わって行く。すると神の愛で、心が満たされてし まうので、人からの見返りを求めなくなる。与える者とされる。 愛を求めて、人に依存し、人に執着することから守られる。人から どうこう言われる事が気にならない。神を通して、人と関わること が大切だ。「初めに人」としてしまうと、まず人からの愛を求める と、心が決して満たさる事がなく、ますます渇く。そして逆に、妬 みやそねみ、敵対心と、様々な悩み、問題を起こして行く。喜びが なく、平安がない。 「初めに人」になっていないだろうか。幾ら人に求めても、心の奥 底は決して満たされることはない。「私たちが神を愛したのではな く、神が私たちを愛し」まず神が愛して下さった。その求めを神に 向けよう。神は求めに応えて下さり、真の喜びを得る。 ------------- 何の見返りも求めずただ愛してくださる神を知っている。それを内 にもって人と向き合うなら、もっと自由に豊に人と関われるのでは ないだろうか。まず神が愛してくださっている。