2016年05月16日(月)

「イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった」創世記25:21


私たちの信仰人生には、「なぜ、どうして」と思うことが様々起こ
る。平穏に生活している中で、突如の試練が臨む事もある。余りの
苦しみに、主が見えないように感じる時もあるかも知れない。祝福
して下さるのではないのか、なぜ、こんな苦しみが臨むのか。経済
的苦境、対人関係の苦しみ、仕事の悩み、病気・・様々な問題を通
る。

イサクとリベカ夫婦にも試練があった。40歳の時にイサクはリベ
カをめとったが、リベカは20年間の不妊の苦しみを通ったのだっ
た。不妊は当時、神に呪われているという迷信があり、人々から何
かあるからだと後ろ指を指され、社会的にも辛い状況だった。その
ために、「イサクは自分の妻のために、主に祈願した」とある。

辛い状況にある妻のために切に祈った。主はイサクのその切なる祈
りに答えられた。主は窮する者の祈りに答えて下さる。リベカは双
子を妊娠した。どんなに喜びだった事だろう。ところが、双子の兄
弟がお腹の中でぶつかり合い、争うという悩みが襲って来た。あん
なに求めた子供なのに、リベカは不安でたまらず、そんなリベカが
した事は「そして主のみこころを求めに行った」とある。

私たちも、喜びの日々から、突然わけのわからない不安な状況に陥
ったり、理解不能の事態に遭遇する事がある。そんな時はリベカの
ごとく、主のみこころを求めに行こう。主は祈りに答えて、主のお
心を示して下さる。
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どこでも祈れる、思い迷うとき、思い煩うとき、幼子のように祈ろ
う。御心を求めて祈りながら、思いは静まっていく。固執している
自分の考えから主のお心へと整えられていく。