2016年06月15日(水) 「『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21
「『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21
主は私たちを導かれる。導きの主だ。導いてもらわなければ、どこ に進めばよいかわからない。進むべき道を求める時には、まずよく 祈ろう。祈りを積みながら、耳をよく澄ましていよう。聖書を読む 時に、又、礼拝説教や学び会を通して、兄弟姉妹との交わりで、信 仰書を読んでいる時に・・、どの方法かはわからないが、主は御声 をかけて導かれる。 覚えておく必要のある事は、その導きが自分の思い通りでないかも 知れないという事だ。ある時は、思いに反する事を求められる。 それは、自分を非難し、敵対して来る人のために、祈ったり、愛の 行ないをして行く事かも知れない。又、自分には困難と思われる、 新しい仕事や働きに就く事かも知れない。何かの犠牲を払う事かも 知れない。 導きに従う事によって、時間や労力を献げる必要が出て来る。しか し、その導きに従う時に、必ず大いなる祝福が臨む。だが、私たち はなかなか従おうとしない。カナンに斥候を出した時も、ヨシュア とカレブ以外は、恐しいとの理由で主に従わなかった。神は導き、 民は逆らう。イスラエルの歴史だ。神は私たちにも、繰り返し〃忍 耐もって導かれる。 今、何かを始める事、人を赦す事、和解する事、何かを献げる事・ ・何らかの導きを受けているなら、従おう。一歩前進するなら、豊 かな祝福があり、主を新たに経験でき、必ず従って良かったと、平 安を経験する。従えるよう祈ろう。 ------------- これに歩めと声がするのに「よい時に、いつか出来ますように・・」 と祈ってはぐずぐずと動き出さないでいることがある。こうして欲 しいと祈るばかりでなく導きを見極めたなら、すぐに動き出したい。