2016年08月16日(火)

「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え・・そのようにわたしの口から出るわたしのことばも・・必ず、わたしの望む事を成し遂げ」イザヤ55:10



私達は、祈ろうと思うが祈れない。又、良い習慣づけしようとする
が難しい。もっと意志さえ強ければ・・、意志が弱いからだめだと
思う。しかし人間の意志の力が物事を成し遂げるのではない。神が
語られた言葉は、神ご自身が実現させる、と。神の意志が物事を実
現させる。

そうであれば、神の御心が非常に大切だ。しばしば主が願っておら
れると自分が思う事を、神の御心と勘違いしてしまう。しかし成就
しないので、戸惑う。ある人が、これこそ御心と思い込んだが、全
くうまく行かなかったと証しした。後にそれは、神の望む事ではな
く、自分が、神のためにしたいと望む事だったと気づかされた。

神の「わたしの望む事」でなく、肉の「自分の望む事」であった。
自分にとって都合よく、自分が欲しい神の言葉でなく、神の口から
出た言葉だけが成就する。どうすればよいのか。まず自分自身の意
志を明け渡そう。自分の強い思いが、御心を知る事を妨げる。そし
て、神の言葉が臨んだなら、その言葉から目を離さず、握っていよ
う。

その約束はなかなか実現しない事がある。何年も祈り続ける事もあ
る。遠回りに見えて、忍耐が必要かも知れない。しかし、神の言葉
は「神の時」に「必ず」成就する。神が働かれ、その言葉の通りに
なる。だから約束はすでに手にしている事になる。目に見える形で
現れて来るのが、神の時だという事になる。
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救われて主に頼る人生へと変えられたのに、いつしか全てを明け渡
さず自分の思いや自分が立てた信仰と御心が判別でない自分をみる。
約束の御言葉を握ろう。主は安らかに導いていてくださる。