2016年11月15日(火)

「その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た。そして・・石を投げつけた」Uサムエル16:5 


ダビデに向かって、シムイが、バテシバの夫ウリヤ殺害の事で罵声
を浴びせ、石を投げつけた。「血まみれの男、よこしまな者」と、
ダビデを呪った。部下がダビデに「首をはねさせて下さい」と言っ
たが、ダビデは「放っておけ、呪わせよ」と、部下に報復を許さな
かった。主が命じられたのだからと。

ダビデは、その罵りを神から来たものと受けとめた。神からの懲ら
しめ、訓練と受け止め、へりくだって甘んじて受けた。「私の身か
ら出た私の子さえ、私の命を狙っている」と。シムイどころか、実
子のアブシャロムすら自分に歯向かい、攻撃して来る。シムイの呪
いも、神から出たものと受け入れた。

敵対して来る、目の前のシムイを見るのでなく、彼を置いておられ
る、神とその主権を認めた。そして、その下に身を低くした。何と
へりくだった心と態度だろう。その敵対と呪いをも、神に委ねた。
「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」、どんな悲惨な中で
も、状況を変えようともがくのでなく、神の前に、正しい心でいる
なら、その事態をも主が良い事のために計って下さる。

ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良い
ことのための計らい」とされた通りだ。相手の悪意すらも、あなた
のために祝福と変えて下さる。状況に、感情で反応せず、神を見て、
状況を見る時、神の介在のもと、御心の対応ができる。神のお心に
そって行く時、どんな苦しい状況でも、心を主の平安で守って下さ
る。
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いつか遠い先が最善ではなく今も神は最善をしてくださっていると
、この現実の中で神を認めるなら、焦らずあきらめず希望を持って
祈れるのではないか。今日取るべき御心の対応を祈り求めたい。