2017年02月13日(月)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4



私達は何を喜んでいるだろう。神の与えて下さる祝福、神の与えて
下さるものを喜んでいるだろうか。「与えられるもの」に目を留め
ているなら、もし、それが与えられない場合には、必ず大きな不満
に陥る。なぜ?どうして?与えられないのかと。自分の思い通り、
願い通りにならなければ、反抗するし、神を疑ってかかる。すぐに
不信仰に陥る。

今まで何度も経験あるだろうか。あなたがいつも目を留めているの
は、神の下さるもの、祝福だろうか。どこまでも、下さるものを追
うばかりで、それはどれだけ与えられても、決して満足しない。心
満たされることはない。なぜならそれは与え主である神ご自身を求
めていないからだ。私達が喜ぶのは、祝福ではなく、祝福の与え主
である神ご自身だ。

私たちが、神ご自身を喜んで行くなら、自分の思い通りにならなく
ても、又、もし願ったものが与えられなくても、失望する事は無い。
決して無い。あなたの信仰態度はどうだろう。弟息子のように、父
ではなく、父の財産を貰って喜んで、父のもとを離れて行くだろう
か。

問題の解決を求める事も、良い求めに見えるが、問題解決を求めて
いるのであって、神を求めているのではないことがある。解決すれ
ば神を離れる。何を喜んでいるのだろう、御霊に心を探って頂こう。
そして主ご自身を喜びとして行けるよう祈って行こう。
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祝福され与えられた物に目が行き喜んだり悲しんだりしてしまうが、
どんな時にも信仰の目はまっすぐに主に向かいたい。与えてくださ
る主ご自身を喜び知って行くことで主に栄光を帰す者になりたい。