2017年04月15日(土)

「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえ の道に導いてください」詩篇139:24


信仰生活で、対人関係の悩みにしばしば直面する。そこで問題が生
じた時に、こじらせてしまい、泥沼状態となってしまう。それは相
手を責めて、相手を変えようとする時だ。相手は反発し、心を閉じ
て、ますます頑なになる。争いが根深くなるばかりだ。

相手を変えようとするが、相手が変わる事は無い。だいたい相手を
裁くのは、自分の思い通りでないからだと言われている。相手がど
うのより、自分の期待通りでない事に我慢ならない。どうすれば良
いのか。相手を変えようとする事を止める事だ。相手を変えるので
なく、自分が変わろうとするなら、確実に問題解決へと向かう。

ある人が、不登校の子供をなだめたり、ある時は叱ったり、何とか
登校させようとするが、どうにもならない。学校へも幾度も足を運
び、担任とも話し合い、自分に出来る事はし尽くした。登校して欲
しいが、だが何の変化もない。そんな時を経て、とうとう疲れ果て
てしまい、もうギブアップだった。主のもとへ行き、心の内をこと
ごとく祈った。失意、挫折感、疲労こんぱい、落胆、焦り、嘆き、
何もかもを主に告げた。

その時、御霊に示された。行かせようとするのは、人にどう見られ
てるかが気になるからであり、結局、心の底に潜む自分のプラドだ
と。これでは子供のためでなく、自分のためではないか。心から悔
い改めた。
その時、重荷が取れて、思い煩いも消え、平安と喜びが満ちた。自
分が変えられた。もう行こうと行くまいと良いと思えた。行かなく
てもいいと、心から平安だった。心が解き放たれた。するとどうし
たわけか、子供が登校し出したのだった。

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普段は決して気づく事のない、心の底に潜み、横たわるもの、それ
を主はいろんな事態の中で、気づかせ、悔い改めに導いて下さる。
どんどん自由にし、聖めて行って下さる。何と感謝なことだろう。
一つも無駄はない。教えられている事を悟れるよう祈ろう。