2001年01月15日(月)

「あすのための心配は無用です」(マタイ6:34)

 キリストに従うものは、今日多くの思い煩いを見つける事が出きる。
さまざまな反社会的事件、株式市場、中東紛争、病気の恐れ…。
私達はしばしば、未来に何が起こるかを心配したり、過去の事に
こだわり過ぎたりする。自分の犯した罪や以前の悲しい出来事を
思い出しては、堂々巡りして胸が熱くなる
私達は過去を変えることは出来ないし、未来を何とかすることも出来ない。
ある人が言った、何が起こるかとか、ああすれば良かったと気をもむ事
をやめて、今の事に集中するなら、毎日神の平安を経験出来ると。
今この瞬間なすべき事において、神と共に歩むためには、私達が
感じたり行ったりする、すべての事から開放される必要がある。
一瞬一瞬が献身した魂が忠実に従う義務を負わせる。
心配はゆり椅子のようなもの。
する事は与えても、どこにもつれて行かない。
イエスは、繰り返し、繰り返し「心配するな」と言われる。