2017年07月16日(日)

「願って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうす ればその通りになります」マルコ11:24



「神を信じなさい」と言われる主は、祈りについて、素晴らしい約
束を与えて下さっている。信じるなら、その通りになると。「すで
に受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」と。
しかし次に言葉が続いている。「誰かに対して恨み事があったら、
赦してやりなさい」と。ここで赦す事が言われている。

赦さない心は、祈りをさえぎってしまうと。それは、まず神があな
たを赦して下さったのだから、相手を赦しなさいと。私たちは、し
ばしば失敗する。しかし神は、常に豊かに赦し続けて下さる。罪を
犯さないのではなく、弱さのゆえに犯してしまうが、赦されて赦さ
れて生きている。

まず恨みや赦さない心があると、祈れなくなってしまう。平安が無
く、心は重く、主と自分の間に、隔たりができてしまう。ある働き
人が、説教奉仕のために、切に祈り求めた。しかし、幾ら祈っても
語るべき言葉が与えられない。期日は迫り、尚も与えられず、徹夜
でも祈る覚悟を決めた。そうすると祈りの中で、心の奥底にあり、
自分でも気づかなかったが、底に、ある人たちに傷つけられた恨み、
苦々しい思い、敵対心が潜んでいる事を示された。

以前の事なので、普段は意識にも上らない。しかし決して赦してい
ない。恨んでいる。御前に心から悔い改め、その人々を赦した。す
ると平安と確信が満ちて、願った祈りは見事に答えを得た。赦さな
い心は、祈りをさえぎってしまう。もし恨み事がそのままなら、そ
の事をまず祈りにより、主に持って行こう。

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赦さない心や恨みは非常に根深い。普段は目の前の事に忙しく、意
識に上らずに過ぎている。しかし決して赦していない。その底の思
いも明るみに出し、心底平安にして下さる。祈りの中で教えられて
行く。祈りの中で正されて行く。