2017年09月15日(金)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1 


起こるすべての事に「神の時」があり、そして神のみわざは、時に
かなって美しい。「かなう」とは「ぴったり合う」「適合する」
「丁度当てはまる」であり「時にかなって」とは「ちょうど良い時」
「ピッタリな時」「ジャストタイミング」だ。「美しい」とは。
「調和がとれていて快適に感じられるさま」であり、「人に感動を
与えるさま」だ。

主のみわざはピッタリのタイミングで、秩序と調和があり、人に感
動を与える。ハマンにより、ユダヤ人絶滅の悪巧みがなされた際、
そこにピッタリのタイミングでエステルがいた。王に救いを願う事
は、エステルだけにしか、他の誰もできないことだった。そしてエ
ステルは命がけで従順に従った。自分にできることをした。結果ユ
ダヤ民族は救われた。

飢饉で、祖国を出て異国の地に移ったナオミが、帰国を決意した時、
ルツもつき従った。それが丁度、大麦の刈り入れの時期だった。落
ち穂拾いという生計の手段が備えられていた。又、はからずもボア
ズの畑であった。選んだわけではなく、たまたま足を踏み入れた畑
だった。そして丁度その時、ボアズが現れた。

まさに主のなさる事は、時にかなっている。神に従い、故郷を捨て、
異国の地に来たルツは、豊かに報いられ、ボアズとの結婚が備えら
れていた。神の時に、ふさわしい事をされる。それは美しい。今は
わからずとも、いつか必ず「美しい」ことが判明する。信じていよ
う。
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振り返ってみれば神の時は、神ご自身の栄光をはっきりと表され、
秩序と調和の中に美しくある。神の時は動かず時がくれば必ずふさ
わしい事をされる。神の時を悟れるように祈ろう。