2018年01月16日(火)

「セムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった」創世記9:23



ノアの箱舟の出来事の後、箱舟から出て来たノアの息子たちは、セ
ム、ハム、ヤペテであった。ノアはぶどう畑を作り始めた。そして
ぶどう酒を飲んで酔って、天幕の中で裸になっていた。息子のハム
がそれを見て、外にいるセムとヤペテに告げた。

ハムは父のぶざまな裸の姿を見て、二人の兄たちに、告げ口のよう
にするが、しかし二人の兄たちは、着物を持って来て、自分達二人
の肩にかけ、後ろ向きに歩いて行って、父の裸をその着物でおおい、
父の裸を見なかった。愛は、人の失敗や弱さをあげつらい、辱める
のでなく、それをおおう。ノアは自らの裸をおおってくれた二人の
息子を祝福した。

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をお
おうからです」とある。律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕
らえられた女性を連れて来た。そして主に、モーセは姦淫の女を石
打ちにするよう命じていると。あなたはどうするのかと詰め寄った。
群衆は好奇心で見物するかのように、そこにいる。主はじっと座っ
て地面に何か書いておられた。

そして罪の無い者が石を投げよと、言われた時に、人々は去り、誰
もいなくなった。その女性に、主は「婦人よ」と語りかけ、「わた
しもあなたを罪に定めない。今から決して罪を犯してはならない」
と。その女性の罪を主はおおわれた。「幸いなことよ。そのそむき
を赦され、罪をおおわれた人は」。私たちも、十字架で罪を赦され、
おおわれた幸いな者だ。
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人の過失だけに目が行くと批判が沸きあがって、次第に批判が正義
のように思えてくる。御言葉はその肉とは真逆を示しておられる。
愛は多くの罪をおおうと。主におおわれた愛をいつも覚えていたい。