2018年03月16日(金)

「陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた」エレミヤ18:4



ある人が証しした。「教会へ行って、聖書も学ぶんですが、長い間
なかなか神様がわかりませんでした。十数年通って、救われました。
しかいその後も、神様を知るのに時間がかかりました。砕かれない
と、神様はわからないですねえ。今は心の底に揺るがない平安を与
えられて、感謝です」と。

自分はなかなか変わらない、というのは自我が砕かれていないとこ
ろにある。まさにこの固い頑固な自我を砕くために、主は難しい問
題を送られる。どうしても合わない嫌な相手が送られる。対人関係
で悩み、苦しくてたまらないので、職場を変えるが、次の場所でも、
同じような難しい相手に出会す。この人さえいなければ、人生快適
で、幸せなのに、どうしてこの人なのかという相手が、近隣に、親
戚に置かれている。

この相手でなければ上手く行くのに、あれが悪い、これが悪いと思
うが、自分は全く変わらない。辛く苦しいばかりだ。同じような事
が繰り返され、やっともしかして、自分の問題かと悟り始める。そ
して「主よ、私を変えて下さい」の祈りがなされて行く時に、自分
が変えられて行く。

そして平安無く辛かった心に、喜びと平安が与えられて行く。今、
目の前にある出来事は、自らの頑なな自我を砕くための取り扱いだ
ろうか。訓練を受け止めて行けるよう祈ろう。その中で、私たちは
変えられて行く。変えられた自分を発見して行く。
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様々な環境を通して、内面の気づきがある。思うように行かない人
間関係は必ず目の前に来るが、それを通して自分自身の罪に主が
必要だったと知れることが何よりも感謝だ。