2018年06月15日(金) 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5:17
「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5:17
私たちは、新生によって新しい性質が与えられるが、生まれつきの 古い性質もまだ残されている。サタンは、その古い性質に働いて来 て、絶えず誘惑し攻撃して来る。特に、御霊に従おうとする時に、 妨げて来る。御心を行なおうとするなら、必ず妨害して来る。 「証しするように」「トラクトを渡すように」と示されたなら、 「どう思われるだろう」「ヘンに思われるのでは」「仲間はずれに されないか」「今後何かと都合が悪くなる」・・不安や恐れもって 阻止しようとする。 「善を行ないなさい」と示されると「時間と労力の犠牲が要る。忙 しくて時間が無い」「面倒で関わりたくない」・・様々な攻撃が来 る。そっちの声に聞いて行くと、段々御心を行なわなくても良いと 思えて来る。主は「せよ」と言われているのに、「しなくてもよい」 に誘われて行く。 又、生活の中で時々、御霊の促しが来る「今、この時間を捕らえて、 祈れ」しかし、肉は「今は疲れているから、今でなくてよい。時間 のある時祈ろう」「ぼおーと休みたいから、テレビを観よう」サタ ンが巧く祈りを奪って行く。肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は 肉に逆らうとある。二つは対立していて、相容れないと。 御霊の示しや促しが来る時、必ずサタンは肉に働いて、阻止して来 る。そのままでいると流されてしまう。その時に、そのままにせず に、「わたしを呼べ」と言われる主に、一言、助けを求めて祈ろう。 ここがかぎだ。そうすれば、流されずに、主が助け導いて下さる。 ------------ 御霊の導きと同時にいつもの肉の声もくる。主の導きの声に従える ように祈ろう。肉に従っても心は満足しないのは経験済みではない だろうか。勝利を体験しよう。