2018年07月16日(月)

「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた」ヨハネ8:9




パリサイ人律法学者達が、姦淫の女性を引きずり出した。その目的
は、彼女を利用して、主を罠にはめようとの魂胆だった。律法では
石打ちの刑だが、あなたはどうするのかと詰め寄った。主は黙って
おられた。だが彼らが問い続けて止めないので、「あなたがたの内
で、罪の無い者が、最初に石を投げよ」と言われた。

すると彼らは一人また一人と、結局全員が出て行き、誰も石を投げ
る者がいなかった。彼らは自分の内側を見た。そして罪を認めたの
だ。内側を照らされ、真実が明るみに出されようとしていた。チャ
ンスだった。自分の姿に向き合う事ができた。しかし逃げる事もで
きた。その時彼らは、皆逃げた。

主の言葉に導かれ、自分の罪を見たのに、目をそむけた結果、罪は
そのまま残った。だが彼女は逃げずにそこにいた。裁きからも逃れ
ようとせず、今からどうなろうと、主のもとにとどまった。全員の
冷たい視線の裁きの中、主だけは違った。主の暖かい愛を全身に感
じた。だからその主の愛に身を委ねた。その時「あなたを罪に定め
ない」と全き赦しを受けた。

私達はどうだろう。御霊に示された罪を認め、悔い改める時、赦さ
れる。新しい歩みを始めて行ける。しかし目をそらすなら、闇の中
であり、ますます見えなくなる。罪がわかるなら、それは恵みであ
り、御霊の光による。主の愛の中だ。目をそらさず、悔い改めるな
ら、新しい歩みに入れられる。
-------------
言い訳や弁解が自分の罪を覆い隠してしまうと罪は残ったままだ。
御霊様に示され本当の自分の姿がはっきり見えたなら感謝だ。心か
ら主に悔い改めることができる。