2018年08月16日(木) 「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」ルカ12:20
「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」ルカ12:20
この世で、懸命に労し大成功を収め、財を築き、今後を左うちわで、 安泰に過ごそうとする農夫がいた。作物を貯える場所が無いほどの 大豊作をもたらす、この農夫は有能で、農業に長けていたであろう。 賢いはずが、しかし神は彼に「愚か者」と言われた。どこが愚かだ ったのだろう。 まず、彼は神を信じない人であり、彼の人生に神は無かった。彼に とっては、収穫作物も財も時間も才能も、すべて自分の力によるも のであり、自分のものだった。だが、収穫を与えられたのは神だ。 天候や自然は神の支配であり、人間にはどうこう出来ない。働く力、 知恵を与えたのも神だ。 しかし神を認めることなく、又、有り余る財を得ても、貧しい人に 分け与える気は全く無かった。彼の喜びとし、いのちとするものは 財であり、物だった。倉に溢れる財に安心だと言ったが、大きな思 い違いをしていた。その財を手にしている自分自身、その命は神の 手に握られていた。地に幾ら莫大な富を貯えても、天への備えがな ければ愚かだ。いのちはこの世の富にではなく、霊にある。 神の前に富むとは、まず神を信じ、財をなす力を与えられている神 を認め、神に喜ばれるように富を用いる事だ。それは与えられた時 も、才能も、労力も同じだ。任されている富、時間、才能、労力を 天に繋げて、天に宝を積むことが。愚かでない、賢い生き方だ。今、 あなたの心はどこにあるだろう。 ------------- 自分を頼りに地上を歩んでいると財が有ればもっともっとと貪欲に なり、無ければ思い煩う。いつも神を頼りに歩んでいると覚えたい。 神に与えられた恵みの中でこの地上を歩んでいる。