2018年09月15日(土)

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になる ことを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」イザヤ48:17


信仰生活で大切な事は、自分の思いを捨てて、主のお心を求めて歩
む事だ。その主の御心を求める時に「どうか、御心を示して下さ
い」と一言祈り、聖書をパッと開いて、偶然、開いた箇所の、パッ
と目についた御言葉を取り「示された!」と言う人がいる。が、そ
れは危険だ。聖書は占いの書ではない。すべての御言葉には前後
関係があり、文脈があるので、前後関係を無視して、1節だけを取
り出すのは、間違った方向に行ってしまう。

時に、神の導きと正反対へ向かう。又、人は、強い願望や思いがあ
ると、御言葉を、自分の都合のよいように、読み込んでしまう。ど
うしても、人は、肉の思いがあり、自分に良いように、読みたいも
のなのだ。そうすると御心を誤ってしまう。御心を求める時は、よ
くよく祈ることがまず大切だ。主と親しく交わり、まず悔い改める
べき事があれば悔い改め、主との関係を正しくされ、素直に率直に
祈って行けばよい。

そして、日常生活の全般に耳を澄まし、アンテナを張り、御言葉を
待つことだ。礼拝メッセージから、デボーションから、信仰書から、
信仰者の交わりの中から、様々なものを通して、主は必ず語りかけ
て来られる。信仰の指導者の助言も参考にするとよい。様々な経験
を先に通っているので有益だ。

祈りつつ、御言葉を待ちつつ、状況、環境をじっと見ていることだ。
環境の門が閉ざされたなら、御心でない。別の道が備えられている。
御心なら必ず門がひとりでに開かれて行く。自分でドアを叩き割っ
て進むのではない。主の御手により開かれる。私たちは開かれた道
を行く。
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主は祈り求める時、進路を導いて下さる。導いてもらわなければ、
私たちはどう進めばよいかわからない。よく祈ってアンテナを張り
巡らし耳を澄ましていよう。ありとあらゆる所から、御言葉を通し
て、人を通して、状況を通して、主は導きを下さる。