2019年02月13日(水)

「そこで彼は言った。『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない』」U列王7:2



アラム王がサマリヤを包囲し、町は大飢饉だった。大勢が餓死し、
ろばの頭や鳩のふんが高値で売られ、子供を食べるという凄惨な状
況だった。エリシャの危急の折りに主の答えがあった。「明日、小
麦粉や大麦が売られる」と。15gが数10円で。すると王の侍従が
「主が天に窓を開かれてもそんな事があり得ようか」と言った。
その時エリシャは、あなたはそれを見るが食べられないと預言した。

時にサマリヤの門に四人のらい病人がいた。町は大飢饉、自分達は
このままなら必ず死ぬ。そうであるなら敵の陣営へ入ってみよう、
もしや食料があるかも知れないと。そして入って行くと、その時、
敵の陣営に、神が大軍勢の騒音を聞かせ、襲撃に勘違いさせた。敵
は恐怖にかられ、陣営を置き去りにし逃亡。

そこに山ほどの金銀、食料が残された。彼らは王家に知らせ、王は
信じなかったが、偵察により事実を知った。すると大勢が殺到し、
例の侍従は踏みつけられ死んだ。預言通りになった。実際、溢れる
食料を神は用意された。しかし侍従のようにそれを信じなければ、
自分のものにならない。溢れる食料の中で飢えて死ぬ事になる。

不信仰は、目の前にあるものを手に出来ない。私達はどうだろう。
十字架の救い、神の愛、恵み、赦し、義とされる事・・溢れる食料
の中で、信じなければ餓死するように、溢れる恵みの中で、不信仰
で餓死寸前だろうか。すでに莫大な恵みが目の前にある。信じよう
としない、自分に気づく事から、祝福は始まる。主のもとへありの
まま行き、求める時に信仰を与えて下さる。
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肉の価値観は目の前のことだけで一喜一憂させる。心配する目には、
落胆と思い煩いしか見えずいつも平安がない。惑わされず御言葉を
信じ、約束のものを手にしよう。