2019年03月16日(土) 「すると、ペテロが答えて言った。『主よ。もし、あなたでしたら、 私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってくださ い』」マタイ14:28
「すると、ペテロが答えて言った。『主よ。もし、あなたでしたら、 私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってくださ い』」マタイ14:28
有名なペテロの海上歩行の箇所だ。嵐吹きすさぶ中、湖の上を歩い て来られた主に、ペテロは「私に水の上を歩いてここまで来いと、 お命じになって下さい」と願った。主のお言葉があれば、水の上さ え歩けると信じた。すると主は、「来なさい」と言われた。御言葉 を頂いたペテロは、舟から出て水の上を歩いた。 常識で考えるなら、自然現象では、あり得ない事だ。人間が水の上 を歩くなど不可能だ。しかしペテロは歩いた。なぜ歩けたのか。そ れは「来なさい」という主の言葉がすべてだった。ペテロは主の言 葉があれば、できると信じていた。だからこそ「ここまで来いと、 お命じになって下さい」と願った。 「来なさい」との主の言葉に従ったので歩けた。もし主の言葉が無 ければ、ペテロが歩こうとしたとしても、沈んでしまったろう。主 の言葉と、ペテロの信仰による従順が一つになった時に、奇跡は起 きた。私たちも、この世での信仰人生は、水の上を歩くようなもの だ。私たちの確固たる基盤は、目に見えるものではなく、主の言葉 だ。御言葉によって生きている。 御言葉に従う時、どんな困難な中をも前進して行ける。主の言葉と、 あなたの従順がある時、そこに主のみわざが現れる。「来なさい」 との御声を聞いたなら、信仰もって一歩踏み出そう。不可能のよう な状況に見えても、必ず前進して行ける。主のわざが現される。 「来なさいと言われた、そこで・・水の上を歩いた」。 ・・・・・・・・・・・ 主が「来なさい」と言われたなら、どんなに不可能に見えても、ど のような状況であっても、前に進んで行ける。主の言葉によって歩 んで行けるし、生きて行ける。今の状況の中で、主の御声に耳を澄 ましていよう。御言葉を求めよう。